2022年 東大国語 第4問 武満徹「影絵の鏡」 答案例・解説

2022年 東大国語 第4問 武満徹「影絵の鏡」

文句なしの最高難度でしょう。
東大の現代文の難しさというと、たくさんの要素を簡潔にまとめる難しさや、字数制限の厳しさなどが目立つような気がしますが、この問題は、何が難しいって、合理的に考えては意味が分からない笑

前半で、巨大クレーターを目の前にして茫然自失としてしまうのは、まだ何となく分かるにしても、後半の影絵のエピソードはスピリチュアルで非科学的な世界に入っています。
真っ暗闇の中で、影絵を演じる老人曰く、「精霊のために宇宙と会話している。宇宙から世界に”何か”を返すのだ」。すると筆者も、スクリーンにその”何か”が見えてしまいます。

東大で出された現代文の問題であることや、筆者の武満さんの紡ぐ文章がとても上品だから没入しながら読めますけど、いったん冷静になってから読むと、もうツッコまざるを得ません。

「そもそも暗闇の中でやってたら”影絵”じゃないだろ」とか、「暗闇の中で爺さんが人形もってブツブツ言ってたら怖すぎる」とか、「暗闇の中でスクリーンに映るのなんて、幽霊とかお化けじゃん」とか。何か怪しい団体に入ってしまった友人が同じエピソードを話していたら、真っ先に距離を置いてしまいそうです。

こんな非日常的なエピソードに対して傍線部が引かれて「どういうことか答えよ」という、ある意味「無茶ぶり」をしてくるのが、今回の東大の問題ということになります。

なお、2021年も非常に読解が難しい問題が出題されています。ぜひ合わせて学習することをお勧めします。
2021年国語第4問の解説・答案例はこちら

さて、いつも通りですが、現代文は回答者によって解釈のブレ、答案の表現のブレなどが激しい科目であるため、賛否両論が発生することは承知していますし、闊達な議論を奨励しています。お気づきの点がありましたら、遠慮なくコメントをお願いします。

※なお、本稿では最低限の読解や私(平井)の答案の紹介を行っています。
《より詳細な内容》に加え、《多くのサンプル答案に対する添削やアドバイス》などを2時間ほどかけて解説した授業動画もご用意しております。
ご自身でサンプル答案の添削に挑戦していただいた上で視聴いただくと、多くの気づきを得られます。

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敬天塾作成の答案例

敬天塾の答案例だけ見たいという方もいるでしょうから、はじめに掲載しておきます。
受験生の学習はもちろん、先生方の授業にお役に立てるのであれば、どうぞお使いください。
断りなしに授業時にコピペして生徒に配布するなども許可していますが、その際「敬天塾の答案である」ということを必ず明記していただくようお願いします。
ただし、無断で転売することは禁止しております。何卒ご了承ください。

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【平井基之のサンプル答案】

設問(一)
巨大なクレーターを眺めていると、宇宙を支配する法則に比べて人間は極めて矮小な存在だという事実に圧倒され、あらゆる感覚や知的活動がしばらく停止してしまったから。

設問(二)
知識や経験に基づいて火口の荘厳さを解釈しようと試みる私に対し、万物は宇宙の法則に従って存在しているに過ぎず、解釈を試みることなど無意味だとケージが示唆したということ。

設問(二)別答案
ケージの一言によって、意識を奪われていた筆者たちが正気に戻ったことは、宇宙を支配する法則の下では、単なる空気の振動と解されるような、些末な出来事だったということ。

設問(三)
フランスの音楽家たちは、全く知らない音楽であったガムランに遭遇しても、あくまで彼らが構築してきた理論の枠内で解釈し、新たな作品を作るための素材の1つと捉えたということ。

設問(三)別答案
フランスの音楽家たちは、遭遇したことのなかったガムランに対し、溶け込んで一体化せず、あくまで客観的に捉え、彼らが馴染んできた音楽理論に基づく創作物のための素材だとみなしたということ。

設問(四)
暗闇の中で老人が影絵の人形をかざしているスクリーンに、宇宙の法則に従って生きる小さな存在である筆者の姿が鏡のように映し出されたように感じたということ。

※多少、字数が多めの答案になっていますが、短くまとめきれない私の力量不足以外の何物でもありません。あくまで、答案サンプルの一つであり、皆さんの考察の材料となることを願って作成したものですので、寛大な心でご覧いただけると幸いです。

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設問(一) 私のひととしての意識は少しも働きはしなかったのである。

採点は5段階評価で標準を3とし、
難しいポイント1つにつき+1、
簡単なポイント1つにつき-1としています。
「傍線部の構造」は答案骨格の作りにくさです。
「表現力」は自分の言葉に言い換える難しさです。

逃げるは恥だが役に立つ

地面に空いた巨大クレーターの穴を見た時に、しばらくボーッと立ち尽くしてしまった経験が語られている文脈。
余談ですが、私も多少の海外渡航の経験があり、カナダやアメリカの雄大な自然を目の当たりにしたとき、しばらく何も考えず眺めてしまったという経験がありますから、なんとなく筆者の武満さんの気持ちが分かるような気がします。

しかし、現代文の問題となると話は別です。
何しろ、意識が働かなくなってしまった理由が「自分の意識を超える大いなるものにとらえられた」とか「意識の彼方からやって来るものに眼と耳を向けていた」とか、具体的に何も書かれていません。

現代文の答案は「具体的に指摘する」という方向性で書くのですが、まさに真逆。要するに「大いなるもの」とは具体的に何かを問われているわけです。

そこでどうするか。手段は2択です。
1つは、仕方ないので「大いなるもの」と答案に書くことで、具体的に指摘することを避ける方法。もう1つは、何とか具体的な表現を探り出して書くという方法です。

さて、私が受験生ならどうするかというと、1つ目の方法を採用して逃げます。
理由としては、2つ目の手段を採るためには、かなりの時間がかかってしまい、他の問題を満足に解く時間が取れなくなってしまうからです。またまた余談ですが、これを「逃げるは恥だが役に立つ」作戦と呼んでいます。

しかし、こうして答案例とか解説を書く身となると逃げられません。ということで、実はかなり時間がかかったのですが、私なりに解釈して具体的に明示していこうと思います。
(言い訳がましいですが、ここは読者によって解釈がブレる典型的なところでしょうから、他の先生方は別の解釈をするでしょう。あくまで一例としてお読みください。)

「大いなるもの」とは何か

まず、注目したのは、本文全体の文脈です。
この文章、エッセイかと思いきや、1つの軸に沿って主張が展開されています。ただし、論説文のように明解ではないうえに、主張が非常に抽象的でつかみどころがないのが特徴ではありますが。

これがどこに書かれているかいうと、第1~2段落です。
私なりに要約すると、「人間は宇宙に比べればちっぽけな存在だ。宇宙の法則に縛られて生きている。」というような内容です。
ドラマとか小説なんかでも、何かで悩む相手に対して「宇宙に比べれば、そんな悩みは小さなことだよ。」と諭すシーンがありますが、少し似ていますね。この主張が最後まで貫かれて論が展開されている、と私は読みました。

これを踏まえて、傍線部付近に戻りましょう。
筆者の武満さんは、ハワイで地面に空いた巨大クレーターの穴を見ます。クレーターと聞くと、月のクレーターのように隕石の衝突で来たと思うかもしれませんが、ハワイのクレーターは火山活動でできたものです。
(隕石の衝突でできたものの方が、「宇宙における物理法則」がイメージできてよかったかもしれませんが、残念)

ハワイ島がホットスポット上に位置する火山島であることは、地理選択者であれば常識にしておきたい事実。2017年第1問の地理で出題されていますので、要確認!

話を戻して、ハワイのクレーターが噴火でできていたとしても、第1~2段落の主張からはズレません。
人間など話にならないような巨大なクレーターを見て、「人間はちっぽけな存在だ。」とか、「人間も所詮、宇宙の法則に縛られて生きている。」というようなことを感じるのは、不思議ではないでしょう。

つまり端的にいうと、大いなるものとは、宇宙とか、宇宙を支配する法則です。筆者はクレーターを見ながら、宇宙の広大さを感じると共に、人間の矮小さや、宇宙を支配する法則の絶対的な存在を感じ、その存在感に圧倒されてしまったことで、茫然自失としてしまったのではないかと解釈しました。

平井答案の解説

以上の議論を踏まえ、答案例を示します。

巨大なクレーターを眺めていると、宇宙を支配する法則に比べて人間は極めて矮小な存在だという事実に圧倒され、あらゆる感覚や知的活動がしばらく停止してしまったから。

・「おおいなるもの」を宇宙や、宇宙を支配する法則と捉えました。そのうえで、人間の存在の小ささを対比しました。
・「意識が働かない」を、「感覚や知的活動が停止した」と言い換えました。
・感覚や知的活動が停止した理由として「圧倒されてしまった」ことを指摘しました。
・設問二を意識して、「しばらく」と、時間を限定する表現を入れました。

設問(二) 周囲の空気にかれはただちょっとした振動を与えたにすぎない

さて次は、空気の読めない発言を頑張って擁護している場面・・・ではありませんね。ケージの一言の意味を考える一問です。

クレーターを見て感慨に浸っている筆者たちに対して、冷や水をかけるように「バカラシイ」と発言する作曲家ケージ。私がその場にいたら、かなりイラっとするでしょうが、人格者の集まりだったようで、皆ケージの言葉を受け入れたそうな。
ケージが作った曲の演奏中に、お客さんが「バカラシイ」と発言したら、ケージは受け入れるのだろうか、などと性格の悪いことを考えてしまいました。

さて、問題の解説に戻りますが、ケージの発言は「空気の振動にすぎない」と書かれており、ここが傍線部。「どういうことか」の問題です。
単純に考えれば、「ケージの発言など、あまり大きな意味はない」などの解釈になるでしょう。文末に「すぎない」とありますから、この方向性になると思うのですが、見事に答案が割れています。

私も諸先生方や、再現答案を多数見ているのですが、色々な方向性で書かれた答案があり、解釈が全く定まっていません。予備校発表の解答でも、先生ご自身の解釈によって(つまり個人の読解に従って)書かれているということで、様々な答案がありました。

ということで、私も色々な仮説を立て、考えながら答案を作ってみたのですが、どうもしっくりきません。
何しろ、解釈の方向性を定めるような、決定的なことが本文に在りませんので、仕方ないと言えば仕方ないと思います。

ということで、ここでは2つの方向性について触れてみようと思います。

解釈①、ケージは悟っていた説

1つ目は、ケージだけは悟っていた人間だという解釈です。

筆者は気難しい顔でクレーターを眺めていましたが、この行為を(インドネシアのエピソードの途中で書かれているように)自分の過去の記憶や知識の範囲で、クレーターを意味づけようとしていると解釈します。
そして、ケージは「そんなことを考えても意味ないぜ!だって、俺らは宇宙の法則に支配されてるだけだし、クレーターも宇宙の法則に従っているだけ。人間が何か解釈を加えようとするなんて意味ないことよ」のような示唆を込めて「nonsense」と「バカラシイ」を言ったと解釈するという方向です。

このように捉えた予備校さんの答案がいくつかありましたが、なるほどと膝を打つような解釈でしたので、ここにも付しておこうと思います。

しかしながら、この方向には1つの疑問が残ります。

筆者は、クレーターを眺めながら、本当に過去の知識や経験に基づいて意味づけしようとしていたのか、という疑問です。
傍線部ア付近で、「空想や思考の一切を拒む」とか「どのような形容をも排けてしまう」、「ひととしての意識は少しも働きはしなかった」と書いています。ここを素直に捉えると、筆者は別に記憶や知識に基づいた解釈などせずに(というか、出来ずに)ただボーっと眺めていただけなのではないでしょうか。

また、「空気の振動にすぎない」という本文から、ここまで飛躍して言い換えて良いのだろうかという疑問もあります。

ということで、解釈①については、説得力があると感じる一方で、一抹の疑問が拭い去れないままでした。

解釈②、そもそも全てが些細なことだという解釈

もう1つは、筆者たちがクレーターを気難しく眺めていたことも、ケージが「バカラシイ」と言ったことも、些細なことだ、という解釈です。。

先ほどの設問(一)を踏襲すると、この文章の全体の論旨は「人間は宇宙に比べればちっぽけな存在だ。宇宙の法則に縛られて生きている。」です。
ケージの発言も然り。広大な宇宙と比較すると、その場の人間がクレーターに目と心を奪われてぼーっとしていることも、その空気をケージが壊したことも、大したことはありません。まさに、ケージの発言など、空気が振動して音となって伝わっただけのことです。

物理を選択していると、音が空気の振動であることや、弦の振動、気柱の振動の問題、振動数と波形と音速の関係性なんかを考察する問題を扱いますが、
物理をやっていなくても、「音が空気の振動」であることくらい知っているでしょう。
このようなことを考え、傍線部イは、人間は宇宙に比べてちっぽけな存在であること、人間も物理法則に従う存在にすぎないことを示唆していると解釈しました。

しかし、これも少し不安が残ります。というのも、傍線部イまでは、筆者たちとケージのやり取りが書かれているのに、傍線部位イで突然、宇宙に対してちっぽけなことだというような文脈に変わるか、という点です。本文全体のテーマとは言え、少し突然すぎないかと思うのです。

ということで、2つの方向性とも、完全に納得のいくものではありませんが、仕方ないので両方の解釈に従った答案をそれぞれ提示してみます。

平井答案の解説

以上を踏まえ、私の答案例です。

解釈①に従った答案
知識や経験に基づいて火口の荘厳さを解釈しようと試みる私に対し、万物は宇宙の法則に従って存在しているに過ぎず、解釈を試みることなど無意味だとケージが示唆したということ。

・本当は「荘厳さ」といった特定の形容を使わずに、火口やクレーターの様子を表現したかったのですが、他に良い表現が見つからないことや、「荘厳さ」を除去して「火口を解釈」とすると意味がわからなくなってしまうため、妥協しています。
・改めて読み直してみても、「空気に振動をあたえたにすぎない」の言い換えとしては飛躍しているような気がします。

解釈②に従った答案
ケージの一言によって、意識を奪われていた筆者たちが正気に戻ったことは、宇宙を支配する法則の下では、単なる空気の振動と解されるような、些末な出来事だったということ。

・前半部は、事の顛末を端的にまとめただけです。「正気に戻った」は適切な表現ではないかもしれないとも思いますが、うまい表現が他に思いつきませんでした。
・「宇宙を支配する法則」と書くことで、「物理法則」を読み手にイメージさせる工夫を施しました。「物理法則」と書いても良かったのですが、本文全体の論旨は物理法則に限った話ではないと判断したため、あえて「宇宙の法則」と抽象的な表現にとどめておき、直後に「単なる空気の振動」と明記することで補う工夫をしています。
・「些末な出来事」とすることで、一連のやり取りにあまり意味や価値がないことを表現しました。

設問(三) かれらが示した反応は〈これは素晴らしい新資源だ〉ということだった。

一般的な答案への道筋

設問三は、標準的な問題。内容も理解しやすいし、答案も書きやすいですね。

場面としては、インドネシアのバリ島の民族音楽を、フランス人作曲家たちと聞いている場面です。
今でこそ音楽というと、我々に馴染みがあるのは、五線譜上に表現できる西洋ルーツの音楽でしょう。東大生の多くがピアノを習っていた経験がある、というのは有名な話ですね。
しかし、世界には様々な音楽があります。西洋式の音楽理論では想定できないような音楽に遭遇した時に、フランス人は何と言ったか。
「新資源だ」

これを解釈するのが、この設問のメインです。
と言っても、本文の前後の、ほとんど答えが書いてあります。

傍線部の4行前には「私たちはともすると記憶や知識の範囲でその行為を意味づけようとしがちなのではないか。」とあります。
傍線部の3行後には「フランスの音楽家のようには、その異質の音源を自分たちの音楽表現の理論へ組み込むことにも熱中しえないだろう。」とあり、裏返せば「フランスの音楽家は、異質な音源でも自分たちの音楽表現の理論へ組み込もうと熱中した」ということが分かります。
ここをまとめれば、ほとんど答案になってしまいます。

さて、では平井の答案を・・・と進んでも良いのですが、もう1点だけ触れておきましょう。

「音の内に在る、音そのものと化す」とは

傍線部の前の段落に、気になる表現が出てきます。
音を聴く、音の外から択ぶ、音のうちに在る、音そのものと化すなど、やはり抽象的な表現が立て続けに登場するのです。

私の想像力で多少補いつつ解釈を施してみると、
真の意味で音楽を「聴く」というのは、耳で音を聞いて、自分が経験してきた音楽の理論に基づいて理解するようなことではないのだ。(これが、音の外にいるということ)
音の内側に入り込み、音そのものになってしまうことなのだ。というようなことが書いてあると思います。

これに基づきフランス人の行動を解釈すると、彼らは音の内側に入り込むことはなく、あくまで音の外側からガムランを捉えているのです。もちろん、音の内側に存在しませんし、音そのものに化すこともありません。

この要素を答案に盛り込むべきか、否か。
この解説記事を作成するにあたり、多くの塾や予備校、先生方の答案を参考にさせていただいていますが、盛り込んでいる答案は1つも見つかりませんでした。

そのため、深読みしすぎかなとも思いました。文系科目のような答えが1つに定まらない科目においては、「深読みする度合い」が非常に重要です。妥当な深読みなのか、独りよがりの深読みなのかのバランスを取ることが非常に難しく、自分ではなかなかコントロールできません。きっと、受験生の皆さんも同じ壁にぶち当たっていることと思います。

しかしながら、敬天塾の答案は議論の俎上に置いてもらうための素材として作成しているため、皆様への問題提起にもなるだろうと、2種類の答案(盛り込んだ答案と、盛り込んでいない答案)を作成しました。

平井答案の解説

(盛り込んでない答案)
フランスの音楽家たちは、全く知らない音楽であったガムランに遭遇しても、あくまで彼らが構築してきた理論の枠内で解釈し、新たな作品を作るための素材の1つと捉えたということ。

・スタンダードに傍線部を解釈した答案です。平易な日本語で分かりやすくまとめることを意識しました。

(盛り込んだ答案)
フランスの音楽家たちは、遭遇したことのなかったガムランに対し、溶け込んで一体化せず、あくまで客観的に捉え、彼らが馴染んできた音楽理論に基づく創作物のための素材だとみなしたということ。

・「音の内に在る」を「溶け込んで」と言い換え、「音そのものと化す」を「一体化」と言い換え、「音の外」を「客観的に捉え」と言い換えました
・2種の答案でなるべく同じ表現を避けました。(構築してきた理論 = 馴染んできた音楽理論 など)

設問(四) そして、やがて”何か”をそこに見出したように思った。

※総合難易度と、本文の読解は、5点満点の採点で6点です。

スクリーンに映ったものは何か

さて、ラスボスが登場です。
設問(一)や設問(二)もそれなりに難しいのですが、この設問(四)に比べれば赤子の手をひねるような問題。
何しろ、冒頭で言った通り、完全にスピリチュアルの世界に旅立ってしまっているからです。(ここは、冒頭で散々イジッたので、自重します)

さて、理解できないながらも、推理していかなければなりませんから、よく文章を読んでみましょう。
バリの老人は「”何か”を宇宙からこの世界へ返す」と称しています。そして筆者も”何か”をスクリーンに見出したとありますから、筆者が見たものは宇宙由来のものだということが分かります。

しかし、ここで軽い矛盾が生じます。
この文章では「人間は宇宙に比べればちっぽけな存在だ。宇宙の法則に縛られて生きている。」がテーマだと解釈してきましたが、宇宙から何かがやってくるとは書かれていません。この矛盾をどう解消するか、非常に悩みました。

そこで設問(一)と同様に、私なりの解釈を加えて仮説を立ててみようと思います。

筆者は老人に近づき、老人は型をかざした

まず、筆者と老人の行動をおさらいしましょう。

本文に書かれてはいませんが、はじめは庭の片隅にいる老人から、ある程度距離が離れているところから確認していると思われます。次に、老人のまぢかに寄っていき、スクリーンに眼を凝らすと、「無論なにも見えはしない。」と書かれています。最後に、老人の側に廻ってみると、地に坐して、多くの型の中からいくつか手に取って、スクリーンへかざしていることが分かるのです。
つまり、段々筆者は老人に近づいて、老人と同じ立場に立つのです。

一方、老人はと言うと、暗闇の中で視覚的に何も見えないことなど意にも介さず、スクリーンに型をかざしつづけています。そして、通訳に質問された際に、はっきりと宇宙と会話していることなどを応えます。
つまり、老人にしてみれば、スクリーンに何かが映っているのが見えているし、宇宙と会話ができているのです。

以上から、筆者が段々老人と同じように、宇宙と会話し、スクリーンに映る”何か”が見えるようになることが示唆されていると考えられます。

注釈だけに書かれたヒント

次に、注釈に注目しましょう。
注釈には、影絵に対して「インドネシアの伝統芸能で、人形を用いた影絵芝居。」と書かれています。しかし、本文には「型」と表現されていて、「人形」とは一切書かれていません。

些細な事かもしれませんが、これもヒントなのではないでしょうか。

人形とは、言うまでもなく人間を模したものです。それが老人によってスクリーンにかざされていますから、スクリーンに投影されているのは、人間であるということです。

ちなみに、注釈が読解のヒントになるというのは、前年の2021年第4問においても同様でした。よろしければリンク先を参考に学習をして見て下さい。

真っ暗闇の謎

さて、ちょっと遠いところにあるヒントも見てみましょう。

真っ暗闇の中で影絵をしている謎現象についてですが、第2段落にそのヒントがありました。要約すると、「人間は知的生物ではあるが、結局は眼には感知しえない仕組みの内にあり、宇宙の法則の外では生きられない」とのこと。

我々は普段、目で視覚に頼って生きていますが、実は目に見えない法則に縛られているのだ、という内容です(設問一でも確認しました)

この内容が、暗闇の中の影絵とリンクしています。暗闇の中では視覚に頼れません。しかし、目には見えなくとも、宇宙の法則には縛られているのです。

「影絵の鏡」というタイトル

何度も読み返しているうちに「もう一度テーマを捉えなおしてみよう」と思い、「タイトルってなんだっけ?」と探してみると、ありましたよ。

タイトルは「影絵の鏡」。これがダメ押しのヒントでした。
つまりスクリーンは、鏡なのです。鏡というのは、自分の姿が映るもの。筆者は、真っ暗闇のスクリーンに自分の姿を投影しているのです。

こう考えると、これまでの矛盾が氷解していきます。

老人に近づくことで、筆者も宇宙と会話できる立場に近づいていること。
老人は宇宙からこの世界に”何か”を返していること。
暗闇の中では視覚に頼れないが、宇宙の法則には縛られていること。
スクリーンに映し出されているのは、人形=人間だということ。
そして、スクリーンは鏡となり、筆者自信が投影されていること。

つまり、スクリーンに見出したのは、宇宙の法則に支配された筆者自身の姿だったのです。

老人は、暗闇の中で、人形をスクリーンに投影させます。これは、人間が宇宙の法則に支配されて存在していることを象徴しており、筆者はスクリーンを鏡と捉え、自分自身の姿を見出したのです。

こう考えると、これまで生じてきた矛盾が解消され、筆者が見出した”何か”の正体もわかり、一貫した本文のテーマも見いだせたことになると思います。
これも、深読みだと言われればその通りなので、正解は分かりませんが、私の暫定の答えとして、答案例を作ってみました。

平井答案の解説

では、私の答案例です。

暗闇の中で老人が影絵の人形をかざしているスクリーンに、宇宙の法則に従って生きる小さな存在である筆者の姿が鏡のように映し出されたように感じたということ。

・注釈を確認したことを明示するため「型」ではなく「人形」としました。
・タイトルをヒントにしたことを明示するため「鏡のように」と書きました。

※なお、本稿では最低限の読解や私(平井)の答案の紹介を行っています。
《より詳細な内容》に加え、《多くのサンプル答案に対する添削やアドバイス》などを2時間ほどかけて解説した授業動画もご用意しております。
ご自身でサンプル答案の添削に挑戦していただいた上で視聴いただくと、多くの気づきを得られます。

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